アドラー心理学で人生が変わる。自分に自信を持てるようになるポイント!
こんにちは。キャリアコンサルタントでスマイル戦隊ネガティブバスターズ司令官の深月あさこです。
タイトルを読んで「うさんくさい」と思われた方、きっといらっしゃると思います。
それでも訪れてくださった方、嬉しいです。ありがとうございます。
でも本当のお話なのです。
今回は、私がアドラー心理学で実際に人生が変わったお話です。
自信が持てるようになりました。ただ、ここで私がいう自信とは「自分で決めて行動し、成功も失敗も受け入れて人のせいにしない」こと。
私は、子供のころから、なるべく目立たないように気を付けてきました。「”その他大勢”が一番」が居心地よいものだと思っていました。
褒められることも叩かれることも苦手。「何もないのが一番いい」という気持ちがいつも行動を制限していました。
でも、そんな私が今こうやってブログを書いています。
全てアドラーのおかげではありませんが、大きく影響しているのは確かです。
私が実際に心に響いた言葉と行動や思考の変化について、いくつか紹介したいと思います。
アドラー心理学は、「モヤーゴ」を寄せ付けない予防策にもなります。
さあ、今日もネガティブな気持ちやストレスと戦ってまいりましょう!モヤーゴ退散!
アドラー心理学とは?
アドラー(1870年~1937年)はオーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家です。
フロイトやユングに並ぶ「心理学の三大巨頭」の一人です。
いくつかネットで見ても、難しい言葉が沢山並んでますね。
難しい事はここでは置いといて、本やネットを見て私が理解した事は、ウツ予備軍(病気とまではいかないけれど、仕事や人間関係のこじれ等で心が疲弊している人)に必要な心理学だという事です。
アドラー心理学は、アドラー自身が幼少のころ大きな病気をしたり戦争を経験したりと自身の経験から、そして第一次世界大戦後の荒廃した環境の中で実際に市井の色々な人と関わり、多くのカウンセリングの中でつくりあげた、実践的な理論です。
その中でも、私が心に響いた理論は、「自己決定性」「貢献感」「課題の分離」でした。
深月あさこがアドラー心理学で人生が変わった事(体験談)
あさことアドラー心理学との出会い
私がアドラーに興味を持ったのは、岸見 一郎著「嫌われる勇気」という本を読んだ時でした。
ちょうど、メンタル不調でバッテリー切れを起こしていた時です。余計に心に響いたのかもしれません。
この本には、攻戦的ですぐにキレる、斜に構えた考え方のいやぁな青年がでてくるのですが、読み始めの部分では、私はこの青年にイライラしながら読んでいました。
でも、じきに、イライラするのは「今の自分と重なって見える」からだと気づきました。青年が哲学者に食ってかかる内容は、まさに心の中で思っていることです。
なのに最後は、青年と同じように、目の前が広く明るくなって、なんだか肩の力が抜けて違う世界を見るような気持ちになりました。
よろしければ一度読んでみてください。
私は、もう少しアドラー心理学を理解したくなって、他にも本を読みました。6冊くらいは読んだでしょうか。
人生が変わったアドラーの理論① 「自己決定性」
まず、私が心に響いたアドラーの言葉は、この言葉でした。
人生が困難なのではない。
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生はきわめてシンプルである。
この文章を読んだとき、最初、私はこの言葉に非常に強い反発を覚えました。
「人生は困難なんですよ。自分ではどうにもならないことがこんなにたくさんある中で、自分で困難にしなくても十分困難でしょうよ」と。
- 生活していけないから、嫌な仕事だけど我慢して働かなきゃしょうがない
- 夫が家の事に関心をもってくれないから、子供も成績が悪いし、家事も私一人でやっている
- 部下の出来が悪いから、毎日そのフォローで残業しなければならない
- もう年だし太っているから、おしゃれしてもあんまり変わらないし、適当でいっかぁ
と、あきらめている事のなんと多い事か。(最後のは私の声です)
しかし、逆に、「じゃあ、私が“人生を幸せになりたい”と思ったら、幸せになれるのか?」と半分開き直って考えました。
そこに、またアドラーの言葉が響きました。
遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない。
その材料を使って、
住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、
あなた自身が決めればいい。
たしかに、「おしゃれは適当でいっかぁ」と決めたのは私です。太っていても年をとっても、おしゃれで綺麗な方はたくさんいらっしゃいます。適当でいっかあと決めた私と差が出るのは当たり前です。
嫌な仕事を我慢すると決めたのも、家事を一人でやっているのも、部下のフォローをすると決めたのも、その人自身です。
その仕事がそんなに嫌なら違う仕事をしてもいい、家事だって家電を(夫のお金で)バージョンアップして手を抜いてもいいんですよ。
部下のフォローだって毎回しない方がいい時もあるかもしれません。
アドラーの「自己決定性(人間は自分の行動を自分で決められる)」の理論です。
自分を幸せにできるのは自分だけ。自分にとって何が幸せなのか知っているのも自分だけです。
私は、この言葉で「やりたいことをやってもいい」と思えるようになりました。
やってもいいし、やらなくてもいいし、私は自由に決められる。好きな言葉になりました。
また、失敗しても、私が自由に「これをやる」と決めたことですから、「何か他のせいだ」と思わなくなりました。
やらない後悔はしたくない
今までは、色々な人の目を気にして「しないで我慢する」ことを選んできましたが、やらないで後悔するより、やってみて後悔する方を選ぶようになりました。
そこで、ワクワクリストにどんどんやりたいことを書いて、実現中。
(ワクワクリストのご紹介はこちらの記事をご覧くださいね ⇒ 自己効力感をあげる方法!うつ、引きこもりに効果あり )
やってみて最初に思い描いていたものと違ったり、大失敗したりたくさんあります。それで辛い思いも恥ずかしい思いもたくさんします。
でも、それは自分が決めたこと。誰かのせい、周りのせいにはしなくなりました。
ちなみに、最近の失敗は、ネガティブバスターズの絵ですね。左と右の手の長さが違う!とか、ウンウン悩みながら、自分の絵の下手さにうんざりしながら練習しています。
それと、昨日、思い切って髪を短くしたらちょっとやりすぎました。冬に耳を出すと寒い・・・。
誤解のないように申し上げると、私は「あきらめる」という選択も、自分で決めた事なのならそれでよいのだと思います。
やらないという選択も納得して自分で決めたこと
引っ込み思案の私は、アドラーを読んだ今でも「やらない」という選択肢を結構使います。
昔と違うのは「しょうがなくやらない」のではなく、「自分でやらないと決める」、これが大事と思います。
どんなハンデをもって生まれようと、どんな過酷な状況で仕事をしようと、どんな難しい家庭に入ろうと、そこでどんな人生を送るのか、自分で決められる。
まずは、「幸せになる」と決めましょう。そこから変わってきます。
人生が変わったアドラーの理論② 「貢献感」
これも、「自分」軸をしっかりもとう というテーマです。
- 自分は役立っていると実感するのに、相手から感謝される事やほめられることは不要である。貢献感は「自己満足」でいいのだ。
- 理不尽な上司や学校の先生に無理やり認めてもらう必要はない。市場価値の高い人間になればいい。より大きな共同体で考えればいいのだ。
会社では人を業績や能力などで評価します。上司に評価されなければ、お給料もボーナスも上がりません。
よくやったとほめられれば安心しますし、仕事で失敗すると不安になります。
嫉妬や意地悪もあるでしょう。成果が出ないと会社に行くのが辛くなります。
しかし、アドラーは「誰かからほめられなくても、誰かの役に立ったと思えたらそれでいい」というのです。
評価の連続で疲れていませんか?
子供のころは親や先生に評価されてきました。大人になったら会社から評価されます。人生、ずっと評価の連続です。「今さら評価を気にするなってむりだよ~」と思います。
きれいごとじゃ生きていけません。目の前の利益が欲しくなって当然です。神様仏様のような心で生活できませんよ。
でも・・、時々疲れませんか?
毎年毎年、そんなに成果が出ますか?
頑張っても頑張っても次から次へと仕事が増えて、ゴールが見えないなぁと思う事はありませんか?
結局、誰のための仕事なんでしょう。
アドラーのように考えられたら疲れないのにと思います。
脱!マジメ
私は、周りからは「真面目」と思われることが多いです。でも、「真面目」にしているのは、理由があります。
実は、私は本当は「不真面目」で「大雑把」な人間だからです。掃除だって四角い部屋をまるーく掃除する人間です。
ちょっとでも手を抜くと、とめどなく流されてしまいそうで仕事にならないと思うから「真面目」を頑張っているのです。
それがいつしか、周りの「真面目」の評価に縛られて、いつもいつも「真面目にしないと!」と思っていました。
長年ずっと真面目でいるうちに、どっちが本当の自分かわからなくなってしまってました。
堅苦しくて融通が利かなくて、周りの人は本当に扱いづらかったと思います。というか、自分が堅苦しくてしんどかったです。
脱、真面目!「真面目じゃない私」を意識して過ごすようにしました。
家事も疲れた時は「ごめんね、できなかったので外食でもいいかな」と謝ってしまいます。
家族は、真面目にキリキリしている私よりよっぽどいいと言います。
今でも、ときどき「真面目」はひょっこり顔を出しますが、少し自分が楽になりました。
私が読んだアドラー心理学の中に、「生きているだけで誰かの役にたっている」という言葉がありました。
そっか、私が笑っているだけで、家族は喜ぶんだな。
ありがたいことです。
そう考えると、会社の評価がどうかとか、どうでもよくないけど前みたいに必死にしがみつく必要はないのかなと思えました。
人生が変わったアドラーの理論③ 「課題の分離」
最後に、考えさせられた言葉はこの言葉でした。
- あなたが悩んでいる課題は、本当にあなたの「課題」だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみる事だ。
- あなたのために他人がいるわけではない。「〇〇してくれない」という悩みは自分の事しか考えていない何よりの証拠である。
この言葉は、一見冷たいように見えます。でも、他人に代わってあげる事はできないし、他人を変える事もできません。
他人を変えようと思うから無理がでるのです。自分にできる事は支援だけです。
チームの誰かが仕事のミスで残業することになっても、「必要なら声をかけてね」とは言えても、本人が望んでいないのに自ら残業してフォローする事は必要ない。
「子供のためを思って」と言い訳しながら、「いい学校に入りなさい」と押し付けるのは、親のためであって子供のためではない。
他人の課題に土足で踏み込んではいけない。これがアドラーの「課題の分離」です。
自分磨きにフォーカスする!
私は、この言葉をきいてはっとしました。結局、誰かのため、あなたのため、といいながら余計なおせっかいをたくさんしてきた事に気づいたからです。
「私ってよく気が付くでしょ」とほめてもらいたい。「私って冷たい人間だ」と思われたくない。
そんな自分の傲慢な気持ちが見え隠れしている事に気づいて反省しました。自分の黒い部分を見た気がしました。
それからは、自分の課題にまい進することにしました。やりたいこともたくさんあります。
自分が幸せになれば他人も幸せになれると思うし、おせっかいをする時間で、必要にされたときに助けてあげられるよう、自分を磨いておく方がいいと思えるようになったからです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
私の心に届いたように、アドラーの言葉が少しでも皆さんの心に届くといいなと思います。
嫌われる勇気以外に、私が読んだ本の中からおすすめのものをご紹介します。ぜひ気になった方は読んでみてくださいね。
皆様が笑顔で過ごす日々が一日でも増えますように。
スマイル戦隊ネガティブバスターズは、今日もどこかで「モヤーゴ」と戦います!