国家資格キャリアコンサルタント集団が斬る仕事論

問題社員解決キャリアコンサルタント 坪根克朗(つぼねかつあき)とはこんな人

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国家資格キャリアコンサルタント。中高年危機脱出キャリアコンサルタント。ソフトウェア開発、システムエンジニアを経て、人事部(労務管理・人材育成・キャリア相談)業務に従事。企業における職場環境・人間関係・セカンドキャリアに関するコンサルティングの他、中高年の危機を乗り越える支援の専門家として活動中。高知県出身、広島県在住。【好き】広島カープ、WoWoW海外ドラマ、坂本龍馬、広島風お好み焼きなど

2018年8月から、月1本のペースで書いてきた20本の記事(ブログ)をご紹介しながら、坪根克朗について知っていただこうというページです。

私が書いているブログは、入社以降40数年にわたるキャリアの中で、悩んだこと含めて経験、知識をベースにして書いています。

どんなキャリアを歩んできたのか、お話しながらブログも紹介させてもらいますね。

そして、最後に、なぜ「問題社員解決キャリアコンサルタント」というちょっと変わったタイトル(肩書)をつけているかもお話してみたいと思います。

坪根克朗(つぼねかつあき)とは

22歳 就職浪人覚悟

入社は、1979年ですが、このころの就職活動は、大学4年生の10月が解禁でした。

そして、オイルショックの影響もあり求人が少ない中、工学部の原子工学科だったので求人してくれる企業はほとんどなく、就職浪人も覚悟していました。

ただ、幸いなことに同じ学科の先輩が入社しているソフトェア会社から応募があったので、ソフト開発への興味くらいで入社しました。

あの当時、会社では定年まで働くのが当然と思っていたので、昨今の「若手社員3年離職問題」に驚き「改善策は、職場環境の問題」として書いたブログが以下になります。

30歳 病気で2年間休職、広島の会社に転籍

入社以降の仕事は、宇宙開発から始まって科学技術計算言語FORTRANを使った統計解析などのアプリケーションプログラムを開発していました。

30歳になって子供が生まれたばかりでこれからという時に、難病指定の病気で両脚を手術してリハビリ含めて2年間休職しました。

私のこの会社でのキャリアは終わったと思ってました。

ただ、思いかけず会社の計らいで、「できたばかりの会社だけど君のソフト開発の経験、統計解析のスキル」が生きるかもということで、広島の会社を勧めてくれて転籍することができました。

広島は出身地でもなく、知り合いもいない縁もゆかりもない町でしたが、働けることがうれしかったことを覚えています。

32歳 両松葉杖をついての初出社

会社は創立2年目だったこともあり、会社からは「ソフト開発自体を知っているメンバが少ないので、早く新人を立ち上げてほしい」と期待されていたので、張り切って仕事に取り組んでいました。

しかし、私が張り切れば張り切るほどメンバからの冷たい視線を感じたのですよねー。

「よそ者が途中から来て偉そうに振舞う」ととられたのかもしれません。

2年間のブランクがあり、新しい職場にもかかわらず、昔の感覚でコミュニケーションを取っていたのでしょう。

結局、職場になじむのに2~3年かかってしまいましたが、学ぶことは多かったです。

出世の秘訣は「段取り力」と「仕事のできる人の真似」

インターネットの登場によって、IT投資が活発になり、会社自体も関連ソフト会社との合併により社員も600名→5000名と大きくなっていきました。

私もそれに伴って任される業務領域、部下は増えていきました。

この時、成果を出すために意識的にやり続けたことは「段取り力」と「仕事のできる人!の思考・行動・アウトプットを真似る」ことでした。

「段取り力」「仕事のできる人」とはどういうものかを書いたブログです。

試しにやってみてください。必ずあなたへの評価は変わります。

52歳 ライン事業部でパワハラ・いじめを経験

事業部のNO2の立場だった時、プロジェクトの進め方で上司である事業部長(執行役員)と対立し、埒があかないので、事業部長を飛ばして上位上司(常務)に相談しながらプロジェクトを進めました。

このことが、事業部長の逆鱗に触れ、ある時呼ばれて「あなたを事業部長にすることはない。事業部から出て行って!また行先は自分で見つけて!?」と言われてしまいました。

今でいうパワハラというか、いじめですよね。

この時に悔しい思いがあったので、2019年「パワハラ防止法」の成立にともなって以下のブログを書いてみました。

上位上司から一言「君は何ができるの?」

事業部長との「対立関係のほとぼりが冷めることを待つ」手もあったのですが、「この先事業部に残っても碌なことにはならないな~」と思い、事業部を出る覚悟を決めました。

今後の話をしに上位上司に相談に行ったところ「ところで、君は何ができるの?」と聞かれ、支離滅裂な答えしかできなかったことを覚えています。

キャリアチェンジの大事な節目に、「自分のキャリア」「自分の会社への貢献」をきちんと説明する準備をしていなかったのです。

この経験から、日頃から自分のキャリアを振り返り、いつでも説明できるような準備の必要性を説いたブログが以下です。

52歳 ライン事業部から人事部へ異動

上位上司が動いてくれたおかげで、東京とか大阪の事業部の話もあったらしいのですが、妻が病気療養中のため広島を離れることができないという事情も考慮していただき、人事部の広島地区への異動になりました。

人事部での初仕事

人事での肩書は、労務シニアエキスパート。私にとっては役職定年みたいなものです。

今後人事としてどうやって会社に貢献できるのか、悩みましたねー。

ライン事業部にいた時も長時間残業の改善に取り組んでいましたから、人事での初仕事は、全社課題でもあった長時間残業問題を解決する「残業時間マネジメントシステム」の企画、提案、設計そして導入、展開することでした。

残業削減の結果もでたので、長時間労働削減施策は、「会社と自分自身にある」といった内容を書いたブログが以下になります。

53歳 問題社員対応のスペシャリストに!

ライン事業部での事件・事故を起こす問題社員の対応は、人事部の指示で行っていたのですが、人事部では逆に指示を出す立場になりました。

問題社員の対応は、法的な知識含めて経験が全てですから、本社の労政Grから学びながら進めていきました。

この問題社員対応は、後でお話する私自身のブランディングの本丸になる専門領域なので、学び、経験したことをフリーランスになって、経営者や管理職向けに書き綴ったブログの数々は以下になります。

問題社員の対処法

問題社員の対処法とは、「予防(採用しない)や改善指導等」含めて会社がとるべき対応策になります。

問題社員の再生、活性化

問題の内容にとっては、彼らのキャリアを考えた「再生、活性化を支援する」ことも重要になります。

リストラに遭遇

会社の業績が悪くなった時、グループ会社全体でのリストラに遭遇しました。

リストラ面談は、職場の組織長が進めるのですが、私は組織長をサポートする側として、関わりました。

そして、会社の都合でリストラ対象になった人に「エール」を送る意味で書きました。

56歳 役職定年

前職では、56歳が役職定年でした。

私にはあまり関係なかったですが、同僚の中には役職定年になってあきらかにモチベーションが下がっていた人もいましたので、「責任が軽くなって、自分だけのことを考え、自己啓発できるいい機会になるよ!」と言いたくて書いたブログが以下です。

私の自己啓発は、人事では対人支援のスキルが絶対必要だと思って、「産業カウンセラー」「CDA(キャリア・デベロッパー・アドバイザー)」の資格取得に向け勉強を始めました。

60歳 定年

私は、雇用延長はしませんでした。

定年後1年間、知り合いに頼まれて「FORTRANやVBAのプログラマー」として働いていました。

プログラミング自体は嫌いではないのですが、「はまってしまう」とオーバーワーク状態になるので、60歳のおじさんには、しんどかったです。

結局、両脚の再手術もあり辞めてしまいました。

そして、今後のことを考えた時、「今後の働き方はどうなるの?」「その時必要とされるスキルは?」と疑問に思ったことを調べて、まとめた内容が以下のブログです。

62歳 フリーランスで働き始める

国家資格キャリアコンサルタントを取得したこともあり、あの当時、国からの助成金の出る「セルフキャリアドック」を社労士さんから紹介され、20数社、30数名のキャリアコンサルタントとして働くことができました。

63歳 問題社員解決キャリアコンサルタントの誕生

2018年度で、セルフキャリアドック制度が無くなると、キャリアコンサルタントの仕事もなくなり、これからは仕事を自分では見つけなくてはいけない状態になってしまいました。

さてどうするかな~と考えていた時、2018年1月から入会していた『対人支援のプロを目指す!複合型研究施設「Shien.Lab」』を主宰している多田先生から「ブランディングの仕方」を教えてもらいました。

ブランディングとは、会社や組織の肩書に頼らずに「〇〇さん」で通じる自分のブランドを構築して、ビジネスの成果に結びつけることです。

ブランディングには、専門領域を明確化にする必要もあるので、私の肩書をズバリ「問題社員解決キャリアコンサルタント」にしました。

そして、フリーランスになった経験を踏まえて、人生100年時代、働き続けるために、セカンドキャリアを考える人向けに書いたブログは以下の二つになります。

まとめ

私のキャリア人生、スキル(ソフト開発/統計解析)でキャリアを活かされ、「人間関係」でキャリアを捨てることになっても、新しいスキル(問題社員対応)でキャリアを再スタートさせることができました。

フリーランスになって、今年で3年目に入ります。

ブランディングの一環として、ブログを書いたりHPを作って「私はまだ働いています!!」とアピールを続けることよって、キャリア形成アドバイザーやキャリアコンサルタントとして仕事をいただける顧客は3社になりました。

今年も年間80名近い方のキャリア相談(累計回数では約200回)を行う予定です。

最後に、私のキャリアを振り返った時、キャリアの節目ごとに誰かに助けてもらって、前に進むことができました。

今後もキャリアや仕事そして問題社員対応で悩んでいる方々の力になれたらと思っています。何かあれば、TC坪根キャリアコンサルタィングOfficeまでどうぞ!!

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国家資格キャリアコンサルタント。中高年危機脱出キャリアコンサルタント。ソフトウェア開発、システムエンジニアを経て、人事部(労務管理・人材育成・キャリア相談)業務に従事。企業における職場環境・人間関係・セカンドキャリアに関するコンサルティングの他、中高年の危機を乗り越える支援の専門家として活動中。高知県出身、広島県在住。【好き】広島カープ、WoWoW海外ドラマ、坂本龍馬、広島風お好み焼きなど










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